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- SASUTAHIKO SHRINE -

御祭神

道臣命 大伴佐氐比古命
そのお姿は『前賢故実』に見られる。

『前賢故実』

 『前賢故実』は菊池武保(容齋)編著の版本。十巻上下二冊からなり、わが国古来の忠臣五百余名の像が描かれている。菊池は狩野派の流れをひく日本画家。

大伴氏の起源

 大伴氏は天孫降臨のさいに天孫ニニギノミコトとともに天下りされた天忍日命(あめのおしひのみこと)を始祖としている。天忍日命とは「天上界の威圧的な霊力」の意で、皇室に早くから従属した有力氏族と考えられる。

道臣命(みちおみのみこと)

道臣命

 道臣命は大伴氏の祖先神である。天忍日命の世の孫にあたる。神武天皇の御代に朝廷の軍事をつかさどり、神武天皇の御東征のさいに武功をあげられた。また最初に神事を執り行ったことでも知られる。その様子は『古事記』『日本書紀』に詳しく記されている。
 『古事記』では、皇軍が宇陀(現在の奈良県宇陀郡菟田野町宇賀志)の地に至ったとき、その地の兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)は抵抗し、天皇の使いである八咫烏を矢で追い返した。さらに兄宇迦斯は天皇に従うふりをして御殿を造り、踏むと圧死するばねを仕掛け皇軍をだまし討ちにしようとした。しかし弟宇迦斯がその策略を告白し、道臣命と天津久米命(久米氏の祖)とが兄宇迦斯を追い詰め、兄宇迦斯は自らの仕掛けにかかり死んでしまう。
 『日本書紀』は道臣命の御偉業を多く伝えている。『日本書紀』で道臣命は日臣命(ひのおみのみこと)の名で登場する。日臣命とは「太陽の臣下」の意とされる。
 神武天皇即位前紀戊午年6月、日臣命は八咫烏の導きにより、久米氏(大来目)を率いて、兵車で道を開き、皇軍を宇陀まで進められた。神武天皇はその武功をお称えになり、道臣命(導く忠臣の意か)の名をお与えになる。
 同年8月、反逆を企む兄猾(えうかし)を追い込み、自滅させる。『古事記』では大伴氏と久米氏は同等に記されているが、『日本書紀』では大伴氏が久米氏を率いたことになっている。時代が経つにつれ両氏の勢力が変化したことを示している。のちに大伴氏は久米氏とともに軍事を掌るが、久米氏はその没落とともに久米部として大伴氏に率いられるようになる。
 同年9月、御東征軍は高倉山に至るが、国見丘の八十梟帥(やそたける)によって男坂、女坂などの要害を抑えられていた。神武天皇は祈誓(うけい)の夢に、天神のお告げを受けられ、天香山の土で祭具を作り、丹生の川上で天神地祇をお祭りになり、戦勝祈願をされた。この時、神武天皇は高産皇霊命の神霊の憑人(よりまし)を務められ、道臣命が斎主(潔斎して神を祭る役)を務められた。
 同年10月、国見丘の八十梟帥を破り、道臣命は忍坂邑に大きな穴ぐらを作って八十梟帥の残党を誘い込み、全滅させた。
 これらの武功により、神武天皇2年2月の論功行賞で道臣命は築坂邑に居所と宅地を与えられ、神武天皇の御寵愛を受けられたという。

大伴佐比古命(おおとものさでひこのみこと)


 大伴佐弖比古命
大伴佐氐比古命

 大伴佐弖比古命・狭手彦命などの表記がされる。道臣命の世の孫にあたる大伴金村の子と伝えられている。金村は武烈・継体・安閑・宣化・欽明天皇の5代に仕えた大連で、継体天皇の御即位を実現させた忠臣として知られる。
 『日本書紀』によると、宣化天皇2年(537年)10月1日に、新羅の任那侵略をうけて大伴金村の子磐と狭手彦命に任那救助の勅命が下される。磐は三韓防衛のため筑紫にとどまり、狭手彦命が任那を鎮められ、また百済を救済された。
 さらに欽明天皇23年(562年)8月には大将軍として数万人の軍を率いて高麗を討たれ、多くの宝物を天皇に献上された。社の言い伝えによると、これらの武功により、岡の里を賜ったとされる。
  ちなみに『肥前風土記』や『万葉集』には、狭手彦命の悲恋が伝えられている。狭手彦命は高麗出兵の前にとどまった松浦郡鏡の渡(現在の唐津市鏡)で、篠原村の美女オトヒメ(『万葉集』では松浦サヨヒメ)と結婚する。高麗出兵のための別れにさいし、狭手彦命は餞別として鏡をお贈りになる。しかしオトヒメは悲しみに耐えられず、岬の先で狭手彦命の船にむかって手を振り続けた。このときに餞別の鏡が落ちたという。このことから、その岬を袖振の峰、鏡の落ちた地名を鏡と呼ぶようになったという。
 この悲恋は人々の琴線に触れ、『万葉集』に以下の和歌が伝えられている。
遠つ人松浦佐用比賣夫恋に領巾振りしより負へる山の名

山の名と言ひ継げとかも佐用比賣がこの山の上に領巾振りけむ

萬代に語り継げとしこの嶽に領巾振りけらし松浦佐用比賣

海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用比賣

行く船を振り留めかね如何ばかり恋しくありけむ松浦佐用比賣
(万葉集 巻五より)

御祭神

道臣命 大伴佐氐比古命
そのお姿は『前賢故実』に見られる。

『前賢故実』

 『前賢故実』は菊池武保(容齋)編著の版本。十巻上下二冊からなり、わが国古来の忠臣五百余名の像が描かれている。菊池は狩野派の流れをひく日本画家。

大伴氏の起源

 大伴氏は天孫降臨のさいに天孫ニニギノミコトとともに天下りされた天忍日命(あめのおしひのみこと)を始祖としている。天忍日命とは「天上界の威圧的な霊力」の意で、皇室に早くから従属した有力氏族と考えられる。

道臣命(みちおみのみこと)

道臣命

 道臣命は大伴氏の祖先神である。天忍日命の世の孫にあたる。神武天皇の御代に朝廷の軍事をつかさどり、神武天皇の御東征のさいに武功をあげられた。また最初に神事を執り行ったことでも知られる。その様子は『古事記』『日本書紀』に詳しく記されている。
 『古事記』では、皇軍が宇陀(現在の奈良県宇陀郡菟田野町宇賀志)の地に至ったとき、その地の兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)は抵抗し、天皇の使いである八咫烏を矢で追い返した。さらに兄宇迦斯は天皇に従うふりをして御殿を造り、踏むと圧死するばねを仕掛け皇軍をだまし討ちにしようとした。しかし弟宇迦斯がその策略を告白し、道臣命と天津久米命(久米氏の祖)とが兄宇迦斯を追い詰め、兄宇迦斯は自らの仕掛けにかかり死んでしまう。
 『日本書紀』は道臣命の御偉業を多く伝えている。『日本書紀』で道臣命は日臣命(ひのおみのみこと)の名で登場する。日臣命とは「太陽の臣下」の意とされる。
 神武天皇即位前紀戊午年6月、日臣命は八咫烏の導きにより、久米氏(大来目)を率いて、兵車で道を開き、皇軍を宇陀まで進められた。神武天皇はその武功をお称えになり、道臣命(導く忠臣の意か)の名をお与えになる。
 同年8月、反逆を企む兄猾(えうかし)を追い込み、自滅させる。『古事記』では大伴氏と久米氏は同等に記されているが、『日本書紀』では大伴氏が久米氏を率いたことになっている。時代が経つにつれ両氏の勢力が変化したことを示している。のちに大伴氏は久米氏とともに軍事を掌るが、久米氏はその没落とともに久米部として大伴氏に率いられるようになる。
 同年9月、御東征軍は高倉山に至るが、国見丘の八十梟帥(やそたける)によって男坂、女坂などの要害を抑えられていた。神武天皇は祈誓(うけい)の夢に、天神のお告げを受けられ、天香山の土で祭具を作り、丹生の川上で天神地祇をお祭りになり、戦勝祈願をされた。この時、神武天皇は高産皇霊命の神霊の憑人(よりまし)を務められ、道臣命が斎主(潔斎して神を祭る役)を務められた。
 同年10月、国見丘の八十梟帥を破り、道臣命は忍坂邑に大きな穴ぐらを作って八十梟帥の残党を誘い込み、全滅させた。
 これらの武功により、神武天皇2年2月の論功行賞で道臣命は築坂邑に居所と宅地を与えられ、神武天皇の御寵愛を受けられたという。

大伴佐比古命(おおとものさでひこのみこと)


 大伴佐弖比古命
大伴佐氐比古命

 大伴佐弖比古命・狭手彦命などの表記がされる。道臣命の世の孫にあたる大伴金村の子と伝えられている。金村は武烈・継体・安閑・宣化・欽明天皇の5代に仕えた大連で、継体天皇の御即位を実現させた忠臣として知られる。
 『日本書紀』によると、宣化天皇2年(537年)10月1日に、新羅の任那侵略をうけて大伴金村の子磐と狭手彦命に任那救助の勅命が下される。磐は三韓防衛のため筑紫にとどまり、狭手彦命が任那を鎮められ、また百済を救済された。
 さらに欽明天皇23年(562年)8月には大将軍として数万人の軍を率いて高麗を討たれ、多くの宝物を天皇に献上された。社の言い伝えによると、これらの武功により、岡の里を賜ったとされる。
  ちなみに『肥前風土記』や『万葉集』には、狭手彦命の悲恋が伝えられている。狭手彦命は高麗出兵の前にとどまった松浦郡鏡の渡(現在の唐津市鏡)で、篠原村の美女オトヒメ(『万葉集』では松浦サヨヒメ)と結婚する。高麗出兵のための別れにさいし、狭手彦命は餞別として鏡をお贈りになる。しかしオトヒメは悲しみに耐えられず、岬の先で狭手彦命の船にむかって手を振り続けた。このときに餞別の鏡が落ちたという。このことから、その岬を袖振の峰、鏡の落ちた地名を鏡と呼ぶようになったという。
 この悲恋は人々の琴線に触れ、『万葉集』に以下の和歌が伝えられている。
遠つ人松浦佐用比賣夫恋に領巾振りしより負へる山の名

山の名と言ひ継げとかも佐用比賣がこの山の上に領巾振りけむ

萬代に語り継げとしこの嶽に領巾振りけらし松浦佐用比賣

海原の沖行く船を帰れとか領巾振らしけむ松浦佐用比賣

行く船を振り留めかね如何ばかり恋しくありけむ松浦佐用比賣
(万葉集 巻五より)
刺田比古神社
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