本殿

 

拝殿

摂社

八幡社・氷川社

現在、八幡社と氷川社が合祀されている。
八幡社はもともと宮の壇にあったお社である。『紀伊続風土記』や『紀伊国名所図会』などによると、寛永年間に岡の宮末社として遷座されたと伝えられる。
宮の壇とは聖武天皇の岡の東離宮跡とされている。『続日本紀』にその記述がある。
(一説には岡の里が岡の東離宮跡ともされる。「岡の東」とは一般的に和歌山市片岡付近を指し、八幡社が岡の宮に遷座されたことから生まれた伝承かもしれない)

 

 

宮の壇

宮の壇は聖武天皇行幸のさいに建てられた岡東離宮跡とされる。のちに八幡宮が建てられ、寛永年中に岡
の宮の末社として移された。

その後八幡宮跡に「玉井戸」と呼ばれる古い井戸が残され、清冽な水が湧きでていた。一説には聖武天皇
御滞在のさい御使用されたものとも伝える。八幡宮御遷座以後は玉井戸を聖地として汚穢を禁じたという。
明治22年の水害によって埋没したが、以後使用を禁じ、青石で覆って聖地としたという。

参考文献
「和歌山県史蹟名勝天然記念物調査報告」20輯[昭和16年4月、和歌山県]

宮の壇玉井戸(伝 岡東離宮址)
「和歌山県史蹟名勝天然記念物調査報告」20輯より

 

 

末社

小林稲荷社

 

 

 

 

 

 

稲荷社

 

弁財天社

もともとは天嬪山(現和歌山市岡公園内天妃山。別名 弁財天山)に祀られ、人々に崇敬されていた。
市杵島姫命は天照大神と須佐之男神が安河原で誓約をした時に天照大神の息から化生した神で、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)とともに宗像三女神と呼ばれ、古くから航海安全の神として信仰された。

古地図を見ると、天妃山を含む岡の里、現在和歌山城虎伏山などを除き、和歌山市内の大部分が海である。おそらく海上交通の盛んな岬にあった航海安全の古社であろう。

天正十三年(一五八二)豊臣氏が紀伊国を統一し、和歌山城を建てた。築城のさい、弁財天社は城を見下ろす位置にあることを忌み、和歌山城の鎮護社でもあった刺田比古神社(岡の宮)の境内に遷座した。現在も末社として祀られている。

 

春日社

 

天満社

 

祓戸社

 

楠龍発達社

 

大黒社

稲荷社

金毘羅社・宇須売社

 

神馬社(吉宗公献上の馬)

江戸時代成立正徳6年 紀州和歌山城主だった徳川吉宗公は将軍に就任された。
吉宗公は将軍就任の感謝をこめ、享保6年に産土神である当社に黄金装飾の太刀と神を奉納せられた。

この神馬は吉宗公の最初の任地越前国鯖江産の名馬で、吉宗公が幼少からかわいがっていた一頭だった。

吉宗公の拾い親でもあった神主の岡本周防守長諄は、この神馬を大切にし、この神馬が天寿をまっとうした後は面影を木彫の像にうつして社頭の厩に納めたと伝えられる。昭和20年の戦災により、当社は社殿や宝物の多くを焼失したが、この神馬だけは焼失をまぬがれた。このことから開運厄除の神馬として以前にもまして人々の崇敬を集めている。平成8年に現在の姿に修復された。

参道

鳥居

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手水舎

 

狛犬

 

燈籠